【2回目】
●神は全能
創世記 1章1~31節
初めに、神が天と地を創造した。
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
神は仰せられた。「大空が水の真っただ中にあれ。水と水との間に区別があれ。」
神は大空を造り、大空の下の水と、大空の上の水とを区別された。そのようになった。
神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
神は仰せられた。「天の下の水が一所に集まれ。かわいた所が現れよ。」そのようになった。
神はかわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを見て良しとされた。
神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類に
したがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。
地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、
種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。
夕があり、朝があった。第三日。
神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、
日のため、年のためにあれ。
また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。
神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの
光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。
神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、
また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。
夕があり、朝があった。第四日。
神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」
神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、
翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。
神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」
夕があり、朝があった。第五日。
神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、
種類にしたがって。」そのようになった。
神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべての
はうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。
神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、
空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。
海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を
結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。
また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、
いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。
神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。
夕があり、朝があった。第六日。
創世記1章を読むと、神が創造者であり、全能のお方であることを知ることができます。
しかし、全能なる神は次の二つのことをすることはありません。
- 罪を犯す
- 人を強制する・・・神は人を愛し、仕えることにおいて人に自由な意志を与えました。
箴言14章12節
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
ヨハネの福音書5章39節~40節
あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです。
それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
マタイの福音書23章37節
ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
このみことばを通して、神は全能であるにも関わらず、私たち人間を強制することなく、自由意志を与えていることを見ることができます。
エペソ3章20節
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに
施すことのできる方に
神は、強制されませんが、もし私たちが神の御心を行うなら、神は私たちが求める以上の祝福を豊かに与えてくださいます。
●神は不変
創世記 3章1~6節
さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。
「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。
それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
創世記3:1~6を読むと人が自分の意志で神の命に背き、不従順となって罪を犯したことが
記されています。
マラキ 3章6節
主であるわたしは変わることがない。ヤコブの子らよ。あなたがたは、滅ぼし尽くされない。
神は変わることがありません。ですから人が罪を犯したとしても、聖なる神は、その罪を黙認
することはできません。
神は、聖い方です。
詩篇 99篇5節
われらの神、主をあがめよ。その足台のもとにひれ伏せ。主は聖である。
神は光であって少しも暗いところがない。
神は、罪を造られませんでした。罪は、悪魔からきています。
1ヨハネ 1章5節
神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて
あなたがたに伝える知らせです。