【1回目】
■神が現実的なお方であることを、どのように知ることができますか?
今日、多くの人が「神がいる」ということを信じません。
しかし、信じない人々は「神がいない」ということも立証することができません。
「神がいる」ということの最も確かな証拠として、この自然界があります。
この自然界を通して私達人間は、「神が現実にいる」ということを知ることができます。
詩篇 19篇1~4節
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。
神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
ローマ 1章19~20節
それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。
それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時から
このかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の
余地はないのです。
すべての被造物には「法」というものがあります。
「海」「山」「花」 ヨブ記38章4節~39節
たとえ私たちが神を拒んでも、この自然が神の存在を主張しています。
この世において、誰一人として神が造られたように物事を創造することはできません。
たとえ人間が何か新しく創造したとしても、それはすべて神によってあらかじめ造られ
ていたものです。
■神とは誰ですか?
●神とは霊
ヨハネの福音書 4章24節
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
神は生きた人格を持ったお方です。
すべての知識、知恵、義、愛に満ち、意志を持っておられます。
神はすべての創造者であり、神なくして何物をも存在し得ません。
●神は永遠のお方
詩篇 90篇2節
山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえ
まであなたは神です。
神は初めも終わりもなく「永遠」のお方です。
神によって創造され、初めと終わりのある人間にとっては神の永遠を理解することは
困難です。
ペテロの手紙第一 3章8節
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。
すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
神にとっては千年は1日のようであり、1日は千年のようであると聖書は言っています。
ヨハネの福音書 5章26節
それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのち
を持つようにしてくださったからです。
誰も神に命を与えることはできません。何故なら神御自身の内に命があるからです。
出エジプト記 3章14節
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある』という者である。」
また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。
『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた』と。」
●神は創造者
創世記 1章1節
初めに、神が天と地を創造した。
「創造」という意味は「新しいものを自分の考えで作り出すこと」
「無から有を生み出すこと」です。
コロサイ人への手紙 1章16~17節
なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、
地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、
すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、
御子のために造られたのです。
御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。
ヨハネの福音書 1章2~3節
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
創世記 1章2節
地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
この三つのみことばを通して、天地創造の時、父なる神、御子イエス、聖霊が
そこにおられたことを知ることができます。