こんにちは
3月に入り、ポカポカ暖かい日差しが
春だなと感じる季節ですね。

今日は、我にかえる2回目です。
自分自身では、なかなか自分自身を正しく分析するのは
難しいと感じます。
心の底から容赦なく、自分に正直になる事に困難を覚える
ものです。

出エジプトに、神がパロの心を頑なにしたとあります。
 「
わたしはパロの心をかたくなにし、」と、何度も出てきます。 

彼が何度も神の声に聞き従わなかったからです。

出エジプトに神がパロの心を頑なににしました。

彼が何度も神の声に聞き従わなかったからです。

この事から、神の言葉をスルーし続けた結果
人は、頑な人格になってしまうということです。 

神様は、私達に何かが起こる前に警告を発します。

優しい小さい音では気づかないめざまし時計は、1度なって

起きても、消してまた寝る事を予想して、何分おきかにまた

なるようになっている。

それと同じように神様も何度も警告をだします。
それなのに無視し続けると、聞かなくなり、だんだんと
聞こえなくなります。ついには悲しい結果を招いてしまいます。
神は、決して裁く事を優先にしてはおられません。
神様の優先は、いつでも人の幸せです。 

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを
遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、
ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを
侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい
憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることが
ないまでになった。

歴代誌 第二 361516

そこで、主は、カインに仰せられた。
「なぜ、あなたは憤っているのか。
なぜ、顔を伏せているのか。

あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。
ただし、あなたが正しく
行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、
あなたを恋い慕っている。
だが、あなたは、それを治めるべきである。」

創世記 467

それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、
それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。

その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、
神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を
輝かせないようにしているのです。

コリント人への手紙 第二 434節?

人生の中で、しばしば警告の音を見逃してしまう
ことがありますが、
それは私たちが鈍感になってしまっているからです。
心地よい優しい音では目が覚めません。
がんがん鳴る音でないと効果がありません。

神様が警鐘を鳴らしている場面が聖書の中には色々と
あります。
ことが起こる前に気づかせるため、前もって警鐘が
鳴ることがよくあります。どん底に落ち込むまで
我に返ることなどないと思いがちですが、遠い将来に
経験するかもしれない傷からあなたを守るために、今
神様が正に警鐘を鳴らしているとしたら?


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